デブリ処理への思い、雑感

人権は最重要。しかし、人権の否定思想は、他者が尊重すべき人権には含まれない。たとえば、差別発言など他者の人権を否定する発言(表現)は、表現の自由として守られる人権の中には入らない。差別発言を許すなら、差別を許さないとの思いは強いものではないということになってしまう。

原発のような、廃棄処理法が不完全な製造物は、快適な環境の維持にとっての敵であり、そのような製造物は許さないと言い続けなければ、環境保護への想いは強くないことになってしまう。

同じく、デブリ処理を考え続けなければ、デブリ処理への思いは強くないということになってしまう。

1グラムのウラン235が、すべて核分裂するときに発生するエネルギーは、1.95×(10の7乗)キロカロリーとのこと。できるならウラン鉱石にし、地球に戻してやりたい。

デブリ処理に直接関与している研究者や技術者等は、国・上司・恩師等に忖度することなく、頑張ってもらいたい。一般人としては、忖度しなくても済むような環境を調えてやる事であろう(サッカーのハリル前監督の貢献は、有名選手の優先起用に忖度しなくて済む情況をつくり、現監督が采配し易くしたことではないかと思う。)。

水銀アマルガムや風評

理化学辞典でアマルガムのところを見ると、鉛などの低融点金属は水銀によく溶解するが、鉄などの高融点金属は溶解しにくく、それで鉄の容器に水銀に入れていると。ウランの融点は1132℃で、鉄の融点1535℃よりは低いものの、鉛の融点327.4℃よりはかなり高融点で、水銀に溶けるウラン量は少ないであろう。よって、ウランの低融点合金や低融点化合物を考えてみたいが、果たしてそれで水銀に溶けやすくなるであろうか。

福島県内での、参議院選挙における新撰組の演説会の様子をインターネットで見た。事実の指摘が、風評被害を広めてしまうということはあろう。しかし、事実は事実として指摘し続けなければ、事故の教訓が活かされないことになる。原発事故は短期間で片付くものではない。因みに、この国のエネルギー源は地熱に求めるべきと考える。温泉施設と共存する地熱発電の開発の障壁は、技術的問題よりも社会的問題にあるように思う。地熱資源に恵まれながら、他国の地下資源をムサボル、身勝手さ。いつまで続けるつもりか。

電力会社としては、地熱を利用できる地域は限られているが、原発は世界中の国々が取引相手となるので原発を優先したのかもしれないし、この国の要請があったのかもしれない(国としては、兵器も含め、原子力の研究ができる環境を確保しておきたかったのか?)。

デブリ片除去後の臨界防止

デブリ核分裂の連鎖反応が生ずるには、放射性物質臨界質量以上で存在している必要があることから、放射性物質について、ある一定の臨界濃度Ccritical(x,y,z)があるように思われる。

現状、デブリで連鎖反応が起きていないようであるが、ウラン等の放射性物質の分布があまりにまばらでそもそも臨界とならないのか、それとも臨界となる配置にはなっているが、たまたま適度な(我々にとっては不都合な)熱中性子の侵入がないため臨界になっていないのかは不明である。

仮に、臨界になる分布(配置)状況であるとしよう。デブリを一部削り取り、それで残ったデブリにおける放射性物質の分布が、臨界がより起きやすいようになると、そのまま放置しておくことは危険である。そこで、削った部分に、放射性物質を含まないデブリ構成物を、削った分以上に補えば、臨界濃度から遠ざかる方向の処置となり、安全ではないかと考える。そして、順次、非放射性物質と置き換えるのである。

次の問題は、一度にどのくらいまでのデブリ片除去なら安全かである。危険な実験だが、デブリよりもより臨界になりやすいと思われるデブリ相当物をつくって、デブリ片の除去実験をするかである。また、熱中性子ができないように、水以外のクーラント

使用も検討してもらいたい。

 

 

記録を残さない風土の役所にデブリ処理や管理は無理

責任追及されたくないためか、日本と呼ばれている国の役所には、記録をできるだけ残さないという風土があるようである。しかし、臨界発生の影響を回避しつつ行われるであろうデブリの取り出しは、一挙に行えないであろうから、些細な異常にも注意した記録を残して引継ぎつつ慎重に進められるべきであるという常識的感覚からすれば、このような風土を直ちに改めない役所には、デブリ処理や管理は任せられない。

取り出したデブリは数万年の管理が必要とされているが、記録を残さない風土の役所では、どこに置いているのか、誰が管理しているのかなど5W1H的情報が数年のうちに、役所にとって都合のよいように記録されてしまいそうである。

歴史書は、①作成者にとって都合のよいことと、②作成者にとっては不都合だが知れ渡っているため認めざるを得ないこととが書かれていると感じているが、デブリ処理や管理についての役所の記録文書が、歴史書のようになっては大迷惑である。

 

 

 

 

デブリ処理への思い、雑感

人権は最重要。しかし、人権の否定思想は、他者が尊重すべき人権には含まれない。たとえば、差別発言など他者の人権を否定する発言(表現)は、表現の自由として守られる人権の中には入らない。差別発言を許すなら、差別を許さないとの思いは強いものではないということになってしまう。

原発のような、廃棄処理法が不完全な製造物は、快適な環境の維持にとっての敵であり、そのような製造物は許さないと言い続けなければ、環境保護への想いは強くないことになってしまう。

同じく、デブリ処理を考え続けなければ、デブリ処理への思いは強くないということになってしまう。

1グラムのウラン235が、すべて核分裂するときに発生するエネルギーは、1.95×(10の7乗)キロカロリーとのこと。できるならウラン鉱石にし、地球に戻してやりたい。

デブリ処理に直接関与している研究者や技術者等は、国・上司・恩師等に忖度することなく、頑張ってもらいたい。一般人としては、忖度しなくても済むような環境を調えてやる事であろう(サッカーのハリル前監督の貢献は、有名選手の優先起用に忖度しなくて済む情況をつくり、現監督が采配し易くしたことではないかと思う。)。

デブリを上部から摘出するしかないか

底部だけでなく、支柱、壁、作業足場にもデブリがあり、建屋部材とデブリの合金化もありそう。デブリがあるところだけでも建屋ごと横にずらして、回収作業ができればよいが、困難且つ危険であるので、建屋の上部から順々に解体していくしかなさそう。解体前に、建屋内が窒素ガスで満たされ(水素爆発防止)、ホウ素含有冷却水が供給される配管や、作業アーム用作業孔を備えた「デブリ回収作業用建屋」で原子炉建屋全体をおおい、そして、窒素ガスとホウ素含有冷却水を供給しながら、原子炉建屋を上から順に剥がしていくのである。

デブリを癌とみて、癌の摘出のよう?にデブリを摘出する感じなのであるが。

デブリのその場での収納・処理について

デブリがある近辺で、ホウ素化合物で内外面とも被覆されたカプセルにデブリ片を収納・処理する方法では、カプセルを多数準備して、同時、または順次、収納・処理していくわけであるが、この場合でも問題は、炉・容器・建屋からデブリを分離したりデブリ片にする際、あるいは、デブリ片のハンドリングの際に連鎖反応が生じるかもしれないということである。

デブリ片は、収納前にホウ素化合物の液に浸漬させ、全表面をホウ素化合物で被覆してからハンドリングすることが望ましいが、その意味では、格納容器等からのデブリの分離やデブリ細断等の際、ホウ素化合物の液中で行う方が安全であるように思う。

なお、ハンドリング中、デブリ片が落下したりすることが無いように、デブリ片の保持は、摘まみ且つすくい上げるほか、吸引する方法も併用すべきであろう。